広島の西の玄関口ともなる西広島駅。駅一帯の己斐地区は、今、大きく変貌しようとしています。広電西広島駅には新たに広場ができ、JR西広島駅では橋上駅舎と自由通路の工事が進み北口も整備されます。さらにアストラムラインが、広域公園前駅から西広島駅まで延伸する計画もあります。
大きく変わりつつある己斐のまちを訪ね歩くと、古代、中世、近代、現代、未来への足跡を見ることができました。今回は歴史に合わせて史跡など紹介します。追って巡り歩けば、己斐の変遷が垣間見えてくるかも。
旭山神社
創建した年は、はっきりとしたことは分かっていません。伝説によると、約千八百年前の193年、同神社の御祭神でもある神功皇后が九州に向かう途中、同神社がある山で休憩されたと言い伝わっています。神功皇后を出迎えた地元の県主(代表者)が、大きな鯉を献上したところ、「おお、こひ、こひ」と喜んだことから、村を「こひ(い)」と呼び、「己斐」になったといわれています。さらに広島東洋カープの球団名の由来にもなっているとも。広島城は「こいの浦」に造った城ということから、「鯉城(りじょう)」という別名が付きました。そこから「CARP=鯉」の名が付いたことから、旭山神社はカープのルーツといわれています。本殿横には、末社の旭山稲荷大明神があり、19本の朱の鳥居が並んでいます。神社境内からは己斐のまちが一望できるスポットなので、足を運んでみては。
源左衛門橋
決して大きくはありませんが、西国街道をつなぐ重要な橋となっています。江戸時代初期に大名が通りがかった際、八幡川が出水して川を渡れず困っていたそう。広島城主だった浅野長晟公の幼友達だった近所の紫竹源左衛門が板を持ってきて渡したことから名が付いたといわれています。普段、何気なく渡っているなんの変哲もない橋ですが、深い歴史が隠されているんですね。
別れの茶屋
西国街道(旧山陽道)に、赤いテントのお店があります。お店の歴史は深く、江戸時代の宝暦年間(1751−63年)にできたと言い伝わっています。江戸時代、旧山陽道は重要な道で、茶屋には多くの旅人らが一休みのため立ち寄っていました。5代目の山﨑進悟さんは、「(店名の由来は)主には2つの説があります」。目の前の道が二手に分かれているからという説。もう一説が、江戸時代、参勤交代で九州の藩が江戸へ向かう際、お付きの人が大名一向に広島まで付き添い、最後に茶屋でお茶を飲んでから別れたことから、その名が付いたとも。ほかにも広島藩主だった浅野長晟公が幼友達の紫竹源左衛門と茶を飲み、世間話をして別れたからなど諸説あります。約二百七十年もの間、店名は変わらず継承されてきました。茶屋では、当時、訪れる人に団子を振る舞っていました。現在も名残があり、店舗の一角で餅を突き販売しています。突く作業は機械ですが、手でこねています。手作業だからこそ微妙な水加減を調整でき、煮込んでも形の崩れない餅になるそうです。多いときには一日300kgを突くことも。あん餅・小餅・豆餅があり、地元の人に愛されています。当時の記憶を紐解き昭和6年ごろの茶屋の周辺を描いたという絵には、色鮮やかなフジノキがあります。今なお緑に茂っています。
キリシタン殉教の碑
江戸時代、徳川幕府がキリシタン弾圧を始めました。広島藩でも迫害があり、1634(寛永11)年には己斐の河原でキリシタン5人が火刑に処せられたといわれています。ほかにもいた多くの殉教者をしのび、刑場があった地に1984(昭和59)年に建立されました。
浜田樹園給水塔
園芸植物や植木、果樹苗の販売などしている己斐ガーデンスクエアの一角に、赤いれんが造りの建物を見ることができます。かつて軍服製造していた日本麻紡績㈱の給水塔として、1919(大正8)年に竣工しました。45(昭和20)年の原爆投下で辺りの木造建物は半壊。爆心地から約2・8km離れた給水塔と煙突、井戸は、原爆の灼熱と烈風にも耐え残りました。煙突は解体しましたが、井戸は現在も使用しているそうです。「被爆建物」として、静かに原爆の恐ろしさを伝えています。
KOI PLACE
広電西広島駅前に広がる緑の芝が広がる通称「コイプレ」。広島電鉄㈱が、解体したひろでん会館跡地に2020年2月に正式オープンしました。開放感たっぷりの人工芝の広場。ガラス張り平屋建ての「コイハウス」は、屋上に上がることもでき、電車の発着や周囲の景観を望むことできます。さらに高級食パン店やサンドイッチ、スイーツなどテイクアウトを中心としたお店が5店舗あります。路面電車の往来を見ながら、テラス席でゆっくりと食べることもできます。
JR西広島駅
一日約1万人近い乗者客がある交通の要所。現在、南口と北口とを結ぶ自由通路と橋上駅舎の新設工事が進んでいます。駅舎は、以前とは大きく様変わりします。2021年度末の暫定供用、22年度末の完成を目指しています。詳しくは、こちらのページ(https://nh-times.jp/post-9243/)で紹介しています。
★ズッコケ三人組ゆかりの地
駅ロータリーのほか旭山神社入口には石碑など至るところに「ズッコケ三人組」の看板があります
戦後の日本児童文学のベストセラー「ズッコケ三人組」。作者の故・那須正幹氏が故郷の己斐をモデルに描き、2004年に全50巻で完結しトータル約2500万部を発行し多くの子どもに愛された物語です。駅前のロータリーには、主人公のハチベエ、モーちゃん、ハカセが描かれた大きな看板で出迎えてくれます。ほかにもまちの至るところに、作品に登場する場所をイメージし「モデル地名」として案内板やモニュメントを見ることができます。己斐商店街には看板があったり、旭山神社には3人の姿を描いた石版があります。JR西広島駅前にも3人の石像がありました。現在は建て替え工事のため一時撤去していますが、駅完成後には再び設置する予定だそうです。今年7月には那須氏が亡くなられました。那須氏が物語に込めた思いを馳せながら巡ってみては。