大人の勇み足
「うちの子はどうしたものでしょう。宿題をしたの?と聞けば、やったと言い、見てみれば 途中でやめているんです。」と親御さんの相談を受けたことがあります。「うちの子は、私の言うことをちっとも聞かない。」と、困った様子でした。どの親御さんでも子どものやる気を出したいと願い、やる気が落ちれば心配になります。「うちの子は何でも進んでやります。 英語検定も合格し、やる気に満ちあふれています。それから……」。これはどうかと思いますが、うちの子の今の状態は大変と思うのは、そこから課題ができ、意欲が戻り、伸びる子どもになる可能性があります。
ある校長先生の話。「私のクラスに大変な子がいます。授業中、立ち歩くので注意すれば余計にしゃべり出して、困っています。」と、担任が話してきました。校長先生がその子どものクラスの授業に出たときは、落ち着いて授業を受けており、それを伝えると、「そのときが特別なんです。」と担任は答えました。担任の答えは意味深いことです。特別なのであれば特別を一つ、二つ、多くしていくことに目を向けられないかと思いました。そして、校長先生と子どもとの関係において特別であるのなら、担任との関係を特別にしていくことで、毎日が特別にならないかと思いました。
大変なときもあれば大変でないときもあるはずです。
大変でないときに心を向けるとそんなに大変なことが一日中続いているわけではないことに気づきます。子どもの事態に、これは大変だと働きかける、大人の勇み足。勇み足の元は、国語力にあります。「大変」「まったく」という修飾語の問題です。「大変なことだ」「まったく言うことを聞かない」ということばが、思い込みを作り上げていきます。
思い込みがあると目が曇るものです。
子どもを見る目をまっさらにすると、大変だけどそうでもなくて、伸びそうな小さな芽が見 えてきます。先日、「あの子はスピーチコンクールのリハーサルですらすらと話していた。」と言えば、担任は、「そうなんです。以前はことばがうまく使えなくてどうかなと思っていました。 書くことも十分ではなかったのですが、伸びてきたんです。」と、輝く目で話していました。「大変」「まったく」「困った」を言えば、思い込みになります。大変だけどそうでもないこともあります。勇み足にならず、大変さも良さもまとめて受け入れて、指導しています。大人のまっさらな目はきらきらと輝く目になります。そんな目を見て子どもは伸びるのであろうと思います。