話さない体操服
担任をしていた時、箸が私の机の上に置かれていることがありました。箸を置いたのはお昼のお弁当で箸を忘れて貸した子どもだと察しがつきます。ただ、何も言わない子どものことが気にかかります。そんなことがあると心配なことも起きます。帰ろうとした子どもの手袋が見当たりません。誰かが間違えて持ち帰ったのか、翌朝、その手袋が机の上に置いてありました。 誰も言わない持ち物があると教室の空気が澱みます。
先日、保健室に入ろうとすると、そこに保健室から出ようとする子どもがいました。体操服が養護教諭の机に置いてあるので事情を聞くと、「体操服を忘れてしまったので養護の先生から借り、その体操服を返しに来た。」と言いました。黙って体操服を返すことがよくないことだとわかっていないようでした。これはよくないことだと注意するだけでは指導にならないと判断し、話すことが大事だと自覚させる必要を感じました。黙って体操服を返すことがよくないことに気づき、ものを借りて返す行いにことばが必要だと考えさせる指導です。
「養護の先生が戻って来られたとき、体操服はあなたの代わりに話すことができますか?」
「いいえ、できません。」
「そうですね。重ねて聞きます。体操服は話をしますか?」
「体操服は話しません。」
このあと、話したい相手がいないときはもう一度出直す話をしました。
「学習のしつけ」という教員研修があり、協議の一つに話すことが取り上げられました。しつけの話すとは、授業で自分の考えを教師や仲間に話しことばで伝えることです。日常で相手に用件や思いをことばで伝えることを指します。そのとき、保健室に誰が置いたのかわからない体操服の話が出されました。黙ってものを置く実態から話すことの指導が子どもの心には届いていないとわかり、さっそく教師全員で話すことの指導をていねいにすることにしました。
つい先日、1年生が体操服を持って保健室に入るところを見かけました。1年生は養護教諭に自分の名前を告げて、借りた体操服を返しに来たことを話すことができました。養護教諭にお礼を言われ、うれしそうでした。教室に戻ってこのことを担任に話すと笑顔で迎えられ、ものを返す行いが良いことになりました。5年生の2人が国語の宿題をやって職員室に来ました。今日中に出さなければならない宿題ですが国語の教師がどこにもいないので困っているところでした。黙って宿題を机に置くことはしていません。帰り際、私に、「教室の廊下で待っていると国語の先生に会えて出せました。校長先生、ありがとうございました。」と喜んでいました。教師の指導が子どもの心に響く指導になり、子どもの力になっている出来事でした。