「謙虚な心」
会社を経営されている方から話を伺う機会がありました。転職して入社してきた人で、前の会社の欠点や社員の非を言う人は入社しても結局うまくいかないと言われました。欠点や非を言う人は、自分で責任を持ってやり切ろうとしないのだそうです。
会社を学校に置き換えてみると、勉強をやろうと思うだけで実際はやり通せない子どもがいます。そんな子どもと話をすれば、自分の問題としてとらえずに、他の理由をつけます。理由をつけても言い訳ですからやり通すことはできません。そんなときは、子どもに何かの重荷や不満があるわけですから、負担になっているものをいったん取り除いてやります。自分のこととして考えられるようになったら、自分でやれることを決め、毎日続けさせます。続けることが自信につながります。教師は続けることに付き合い、評価してやれば次第に自力でやり切ろうとします。
けんかして友だちともめたとき、あるいは、やってはならないことをしたときに、自分の問題としてとらえないことがあります。相手の非を話すばかりで解決には向かいません。自分をかばって自分のしたことを隠します。そこには学びがありません。学びにするには、自分のこととして自分に向き合うまでていねいに聞いてやることです。自分がしたことを順を追って言えれば、もう十分です。おのずと自分の非も認め、相手の思いも受け入れます。自分で言えれば学びがあります。教師が子どもの非を責めるのではなく、自分のしたことを話して自分の非に気づかせるところに学びはあります。
学校でできなくても親御さんが指導してくださることがあります。子どもの様子から普段と違うことに気づき、友達の机に落書きをしたことを聞き出された親御さんがいました。そして、自分でしたことに責任を取らせたいと、学校で先生に話すよう指導されました。この家庭教育の確かさに感心しました。
ただ、子どもに実現可能な目標を持たせて続けさせることや自分の非に気づくまでていねいに聞くことは、なかなかうまくできないものです。うまくいかないのはなぜか?それは、大人が謙虚さに欠けているのではと考えます。謙虚な心のない人は、問題のある人を変えようとします。変えてやろうとすれば相手はいっそう反感を持ち、自分の非を隠します。良い方法を伝えても、相手にとっては余計なことで、聞き入れがたいことばでしかありません。何を言っても聞く耳を持たない人は、変わることはありません。子どもも同じで、10歳になれば、正しいことを言うだけでは変わりません。
謙虚とは、自分の能力や地位におごることなく、人に対して素直な態度で接することです。10歳以上になれば、高い位置から子どもに正論を振りかざすのではなく、謙虚さを持って接します。子どもに謙虚な心で向き合えば、目標設定と続けることを助けることができます。ていねいに聞き出すことや普段のコミュニケーションも可能です。普段から謙虚な心で向き合い、子どもの問題に気づけば学びのチャンスととらえ、問題を学びにすることが教育です。