2025年8月号の西広島タイムスでは、被爆80年、終戦80年を契機に、被爆や戦争の体験を「伝える」人たちを取り上げました。被爆者が減少するなか、行動を起こした方々の声を再編集して紹介します。
被爆体験伝承者 沖本春樹さん

沖本春樹さんは、3年前から「被爆体験伝承者」として活動を行っています。被爆体験伝承者は、約2年間の研修を経て広島市が認定した、平和記念資料館などで被爆体験を語り継ぐ人のこと。現在、被爆体験伝承者は239人、平均年齢は約64・7歳で、沖本さんは36歳です(2025年当時)。
伝承者になったきっかけは、2019年に参加したドイツの戦争遺構を見学するツアー。若いガイドが地元の歴史を熱心に語る姿を見て沖本さんは「出身地のことをこんなふうに語れない」と感じました。広島出身ですが、伝承者の研修を受けた当時は栃木在住。仕事と子育てに追われながらも、「今聞かないと」と研修のため、何度も広島へ通いました。
沖本さんが語り継ぐのは、6歳で被爆した梶矢文昭さんの体験です。伝承者として活動するなか、あるとき他の被爆者に「あんたはただ読んどるだけ」と言われ、伝え方や表現方法を考え続けているそうです。梶矢さんが被爆当時、裸足で逃げた約2キロの道を、沖本さんも実際に裸足で歩いてみたこともありました。死体が積み重なり、燃える建物のなか、子供が一人で逃げる姿を想像しながら。
取材時、意外だったのは、沖本さんが「小学生の時、原爆の話を聞くのは怖くて嫌でした」と話してくださったことです。
「今でも資料を読んだり勉強すると、心に刺さるし、落ち込みます。正直、もう続けられないかもしれない、と思ったこともあります。でも、梶矢さんのような被爆者の方が、自らの体験を人前で話し続けている。それは簡単なことじゃない。被爆者がいなくなったから終わり、ということにしてはいけないんです」。
なぎさ公園小学校 中谷綾さん

昨年の7月11日、なぎさ公園小学校(佐伯区)で、5年生による被爆体験をもとにした朗読劇が行われました。照明や効果音の操作、演出も子供たちが手掛け、セリフも暗記して挑んだ舞台です。
朗読劇の脚本は、国内外で被爆証言活動を行っていた故岡田恵美子さんの証言をもとに、同校の国語教師・中谷綾さんが約10年前に書き下ろしたもの。戦後70年たっても“被爆した日の空”を思い出す夕焼けが嫌いな女性の話です。昔は被爆者に実際の話を聞いていたそうなのですが、それが難しくなるなか、どうしようかと考え、朗読劇を選びました。小学生にとっては、証言ビデオを見て、何かを感じ取るのはまだ難しいと判断したそうです。
中谷さんは「普通に明日があると思っていた人たちが、突然奪われるのが戦争であり原爆。そして80年たってもまだ夕焼けが怖いと感じる人がいる。80年前の人たちと私達は同じです。そのことを、国語の先生として伝える責任があると思っています」と話されました。
劇を演じた5年生(当時)の都成鉱香さんは「想像して演じましたが、当時はそれを超えることが起こったと思います」と話しました。

エスキーテニス 宇野本翼さん

エスキーテニスは、1945年頃に広島で生まれた、卓球のようなラケットで羽根付きシャトルを打ち合うスポーツ。コートの大きさがテニスの8分の1で、独自ルールにより戦術性もあることから、80代と大学生が互角に戦うこともあります。
考案者・宇野本信さんの意思を継いで現在普及活動を行っているのが、曾孫にあたる宇野本翼さん。翼さんは、県内外の学校に呼ばれることが多く、エスキーテニスを通した平和学習に取り組んでいます。「特に平和活動家ではないのですが、エスキーテニスの説明をしてその発祥にふれると、必ず平和や被爆の話に繋がるんです」と話します。
エスキーテニスは戦後、戦争孤児が多かった広島で、手に入りやすい道具と狭い土地でも子供が遊べるよう考えられました。信さんは「平和のために努力する」と原爆で亡くなった娘に約束し、私財を投じて普及活動に励みました。その子孫の翼さんにもその思いが引き継がれています。
翼さんは「今も戦争はあるが、核兵器は80年間使われていない。それは、使用後の悲惨さが伝わっているからだと思う。悲惨さを伝えていかないと、いつか、誰かが使ってしまう」と話しました。

初めての講話 田中余央子さん

0歳で被爆した田中余央子さんは、今までほとんど話したことがない自身や母の戦争体験を昨年7月、初めて小学生の前で語りました。
田中さんは爆心地から約3キロの、自宅の布団の中で被爆しました。小さな身体は爆風で飛びましたが、庭で被爆した母が田中さんを助け、防空壕へ避難。
被爆時の記憶はありませんが、肉親の安否を探す貼り紙がずらっと並べられていたこと、黒塗りの車が学校へ迎えに来て原爆症の調査に連れて行かれた同級生のこと、終戦後に掃除をしようと自宅前のマンホールを開けると、1〜2歳ほどの小さな遺体が入っていたのを見た記憶などはあるそうです。
「『争いたい心』がなくなると良い。足元から平和を作っていけば良いと思います」と、真剣に耳を傾ける小学生の前で話しました。

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