ウォーキングにちょうどいい季節となってきました。今回は、大野歴史ガイド会の会長、水上弘信さんに教えていただいた片道約5キロ、大野西国街道を中心とした歴史探訪コースを紹介します。
西国街道は、7世紀ごろから九州へ行く主な街道であった「山陽道」を元に、江戸時代に再整備された道のこと。古代は、海岸近くに橋を掛けられなかったので、西国街道は山中の道も多いです。距離が長いので、それぞれの「みどころ」をひとつの目印として歩いてみるのもいいかもしれません。
実際に歩きやすいように、Googleマップで検索すれば出てくるスポット名で紹介しています。
※2025年5月号の1面を再編集したものです。

大野の一里塚跡
まずはJR大野浦駅から。すぐそばに「史跡一里塚跡」と「今川貞世の歌碑」があります。一里塚というのは江戸時代、主要街道の約4キロずつに設置された塚のこと。歌碑は、武将・今川貞世が大野を通った際に読んだとされる歌の碑で、「おおのうらの これかととえば やまなしの かたえのもみじ 色に出でつつ」と書かれています。
鯛山観音堂
大野浦駅から10分程度歩くと、鯉山観音堂があります。ここは1555年の厳島合戦での死者を弔うため建てられたもので、昭和初期に鯛山からこの場所へ移設されました。丘からは旧大野町が一望できます。普段は閑静な場所ですが、桜の時期は道に車が増え、少し混み合います。
大田神社

そこからまた10分ほど歩けば、少し西国街道からは外れますが、太田神社が見えてきます。ここも、地元の人は知っている桜のスポット。大頭神社の末社の一つで、塩屋山祇社と呼ばれていましたが、毛保川下流にあった大田神社と合祀され、大田神社と呼ばれるようになりました。
古代山陽道の史跡

また西国街道に帰り、20分ほど歩くと、「古代山陽道の史跡」があります。宇品港築港のために上部の石は剥ぎ取られたと言われており、石畳は再現ですが石橋は当時のまま。昔の人が通った道を歩いていると思うと、感慨深いですね。少し西へ歩くと、また今川貞世の歌碑があります。
三県一望の地

宮浜温泉を通り過ぎ、西国街道の山道を行くと、このエリア一番の絶景「三県一望の地」が見えてきます。山中の難所ですが、宮島、周防大島、伊予の三県を同時に見ることができます。江戸に護送中の吉田松陰が腰掛けたとされる「腰掛けの岩」もすぐそばにあります。


残念社

三県一望の地からすぐすばにあるのが、「残念社」。宮浜温泉近くをドライブしていると「残念さん」と書かれた大きな看板を見たことがある人も多いのではないでしょうか?道からは見えないので「あれは何?」で終わってしまうのですが、あの看板は、この「残念社」のこと。
実は大野は、幕末にあった、主に長州と幕府の戦い「長州征討」の戦場になっているのです。この残念社は、軍使の依田伴蔵が幕府軍から和平について伝えるべく、ひとりで長州陣営に向かっていた際、狙撃され命を落とし「残念」と言い残したことから祠が建てられたと伝えられています。
鳴川の石畳
残念社から25分ほど歩いたところにあるのが、鳴川の石畳。1936年、陸奥磐城平藩主の内藤政長が広島を通過する際、急いで整備されたという石畳で、鉾の峠への登り道に残っています。
大竹の一里塚跡
山道を少し歩けば、大野浦駅にあった「一里塚」から約4キロ離れた場所まで来た、ということ示す一里塚跡があります。看板が出ているので分かりやすいです。お疲れ様でした。この先は通行危険です!玖波への道は通行しないよう、行政から注意がでています。大野浦方面へ戻るなら、街中を歩けば、日帰り温泉やバスもある宮浜温泉まで2・2キロ。温泉に浸かって、ウォーキングの疲れを癒すのもオススメです。
西国街道を歩くには
広島市が出している西国街道のウォーキングマップには、ほかにも色々な史跡が書かれています。
また、現在、廿日市市が「はつかいち歴史街道ガイド付きウォーキングツアー」の参加者を募集しています。興味があれば参加してみてはいかがでしょうか。廿日市市のウォーキングツアーへのリンクはここから。
ひとりあるきの際は、大野の西国街道には、写真下のような案内が、大野歴史ガイド会によって建てられています。迷った!と思えば探してみると良いかもしれません。山道も多いので、ヘビなどに気をつけて、水分補給しながら歩いてくださいね。


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