こころを整える
朝、1年生の教室に行くと元気のいいあいさつをしてきます。声の勢いや明るさから学校には先生や友達がいて、やりたいことがいろいろあるのだろうと思います。教室を見渡すと、提出した宿題プリントが重ねてあるのですが、その向きがばらばらでした。ほかの宿題ノートは端をそろえて重ねているのでもう一息です。宿題プリントを出している子どもに、一枚ずつ向きを変えながら〇をつける真似をして見せました。子どもはあっと気づいて、ばらばらのプリントの端をとんとんとそろえました。次の日に、「先生、見てください。端をそろえました。」と言ってきました。もう少し続けて見てやれば、良い習慣になりそうです。良い習慣は、自分で考えることと自分でやることで身につくものです。
朝は、こころを整える大事な時間です。早い時間に登校する子どもは遊びたいのでしょうが、その前に宿題を出して、今日の授業準備をして、朝読書の本と1時間目の教科書やノートを机の上にそろえます。決められた場所にていねいに置くことでこころが整います。朝読書ぎりぎりの登校はこころが整いません。宿題や教科書やノートが出せないまま朝読書になって、毎日続くとこれが当たり前になってしまいます。友だちもまたかと当たり前に思えば、お互いのこころの距離ができてしまい、問題です。ぎりぎりに登校する子どもが余裕を持って登校することが何度かあったので、早く来たことに話を向けてみました。すると、その子どもは早く来れば落ち着いて朝の準備ができて、友だちと話ができるので楽しいと言います。それで、続けるにはどうしたらよいか考えて、良い習慣になりました。
良い行いはもう一つの良いことを生むものです。朝読書で教室に出向いて『ヴィーチャと学校友だち』(注)を紹介しました。児童文学で算数の難問を解きながら読み進める長文の作品です。これまで紹介して読み切った者はほとんどいません。早い登校が習慣になった子どもが本を借りに来ました。2か月後、「最後まで読みました。」と、本の感想文と難問の解答を書いてきました。親御さんの協力もあって朝の支度が習慣になってこころが整い、こころが整えば良いことがあると実感した出来事でした。
朝の少しの時間でも、毎日にゆとりがあると学びの機会が生まれます。1年生は新入生を迎える花の苗や球根を植えています。ある朝、「校長先生、花が折れました。上級生が蹴ったボールが当たって。でも誰なのか分かりません。」と言います。くりくりかわいらしい目で私を見つめており、ボールを蹴って花を折ったことへの注意のことばを待っている様子です。それを言っても1年生にとって良いことにはなりません。せっかく私のところに来てくれたわけですから学びの機会にしたいと考えました。とりあえず「きれいな花だ。」と言えば、あてが外れたようで首をかしげました。「この落とされた花をどうしますか?捨てますか?」と言ってみました。「捨てない。」というので、「それでは、小さな花瓶にさして教室に置くのはどうか。」と提案しました。1年生はじっと考えてから教室のいちばんよく見えるところに置きました。折られた花で花を慈しむ機会になりました。
こころが整えば良いことがあります。それは、こころが整うと良いことを生む目や耳を持つからです。そこから意欲と意志がはたらき、良いことが起こるのだろうと思います。そうすればいろいろな壁にぶつかったときに、いつかきっとと希望をもって行動するようにもなります。
(注)『ヴィーチャと学校友だち』…ニコライ・ニコラエヴィチ・ノーソフ作、ゲ・ポージン 絵。