〈紙面連動11月号〉

廿日市市吉和の「冠遺跡群」で2025年9月、発掘調査が行われ、新たに400点以上の石器が出土しました。ここは昭和45年に発見された遺跡で、奈良文化財研究所と廿日市市教育委員会が2年前から本格的な調査を進めています。
昨年の調査では、4万2300年前のものと推定される石器類約370点が出土しています。この冠遺跡の調査以前は、3万8000年前の出土品が日本最古で、また人類が日本へ到達したのも同時期だろうと考えられていたので、冠遺跡の出土品が4万年以上前なら、通説をくつがえし、歴史を更新する発見ではないか、と一気に注目されました。

冠遺跡群があるのは吉和の「冠高原」。発掘調査が行われたのは、山があり、民家も少なく、大型ソーラーパネルが設置してあるようなエリアの一画です。
今年の調査で見つかったのは、大量の石器の破片。小さい破片が多いので、ちょうど石器を作っていた場所だったと考えられています。

石器時代、この高原は、川があって食料となる動物が生息し、石器の材料となる良質な安山岩が採れるなど、暮らしやすい“一等地”であったと推測されています。
土壌の性質上食べかすなどは出土していませんが、ゾウなどの大型獣を狩猟して食べていた可能性もあります。
3年目となる今年の調査の目的は、大きく二つ。
一つは4万2300年前という年代値の妥当性を確かめること。このために地中の木材や火山灰を採取して、地質の専門家に分析を依頼しています。
多少数字の上下はありますが、約4万年前〜約1万5000年前までを、「旧石器時代」と呼びます。この旧石器時代は昔から研究が行われてきましたが、2000年に、アマチュア考古学研究家による「旧石器捏造事件」が発覚し、研究が大きく後退してしまった時期がありました。冠遺跡の調査では、同じことが二度と起こらないよう、科学的な検証に力を入れています。
もう一つは、資料の累計を増やすこと。昨年の発掘で見つかった大量の石器からは、中国など東アジアの4~5万年前の中期旧石器時代と似た特徴が見られました。今回さらに出土品の量を増やすことで、この地で暮らしていた人々が「何ができ、何を持っていたか」をより具体的に推測できるようになります。つまり、この推測と、大陸の調査を照らし合わすことで「どの地域に住んでいる人が、どのルートで日本に来たか」の解明に繋がる可能性もあるということです。

今回の発掘調査は公開され、見学者に対して解説も行っていました。天気の良い日にはかなりの数の見学者が見に行っていたようです。調査は来年も実施される予定なので、興味がある方は来年訪れてみてはいかがでしょうか。
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