9月13日、廿日市市中央市民センターやその周辺の商店街で、「二百廿日豊年市民祭」が開催されました。豊年祭は300年以上前から続くとされている祭りで、現在は9月の第2土曜日に開かれています。令和7年の豊年祭に密着し、取材したものをまとめました。

廿日市天満宮
一般的な「秋祭り」は神社や寺が主催することがほとんどですが、現在の豊年祭は「廿日市市」が主催しています。もともとは商店街の祭りでしたが、商店街の担い手不足により市に移行しました。ただ、企画や運営などの実働は、商工会や商店街が行っています。また、「廿日市天満宮」の中にある「豊受神社」で、豊作祈願の神事が行われています。

さらに廿日市天満宮では、祭りの間だけ、おみくじに図書券、筆記用具、菓子などの景品が付いています。毎年1000ほどの数のおみくじを用意していますが、人気で売り切れることも。おみくじの中に「天」「満」「宮」と書かれた紙か、白紙の紙が入っており、それで当たり外れがわかります。


由来
豊年祭の由来は諸説あります。廿日市天満宮の宮司・谷岡隆さんによると、立春から数えて210日目、220日目が台風が来る「厄日」と言われており、農作物に被害が出ないよう祈願する祭りが、豊年祭の由来とのこと。
また、はつかいち本通り商店会長の桑本謙三さんによると、廿日市は古くから西国街道や津和野街道のある商店の町で、農村によくある収穫を祝う「秋祭り」がなかったことから、商店が主催する祭りとして「豊年祭」が始まったそう。さらに言えば、80年ほど前は飾り物や風鈴などの「見世物」で商店街に来た客を楽しませる謝恩の気持ちを表す行事で、物販が主軸ではなかったそうです。


俵神輿
豊年祭を盛り上げる「俵神輿」は、「廿日市祭礼」という住民団体が主催しています。この廿日市祭礼は、天満宮の「秋祭り」の神輿行列を維持するという目的のため平成4年に結成。豊年祭には平成20年頃から参加しています。


一般的な「神輿」は、普段は神社にいる神を乗せて町内などを練り歩くものですが、俵神輿は神が乗っているわけではありません。なので交差点などの広い場所では、「チョイサじゃ」「チョイサじゃ」などの掛け声とともに、俵神輿を負ったまま、みぎひだりに8歩ほど跳び歩く「もみ」を行い、観覧者を魅せることも。
今使用されている俵神輿は昭和7年に「須賀」の俵神輿として作られたものを活用しています。昔は廿日市の各所に俵神輿があり、それぞれの祭りで俵神輿を担いでいたようですが、だんだん数も、活躍の場も減ってきています。
また、廿日市祭礼の4代目代表である夕永武さんによると、俵神輿のメンバーは当日参加可能!肩の高さで12〜16人のグループを組んで担ぎます。「作法はありますが、やりながら覚えられるのでぜひ参加してください」とのこと。
俵神輿だけではなく、「オニ」も祭礼のメンバーが扮しています。オニは、もともと廿日市天満宮の秋祭りに出没している、縁起が良いと言われる存在。「ハナ」と呼ばれることもあり、竹の棒で人のお尻を叩いたりします。長い竹を引きずって歩くだけで威圧感があり、子供が泣き出すことも。
獅子舞
獅子舞は、祭りの最初の「露払い」や、俵神輿の先導を行っています。これを担当するのは「佐方獅子舞保存会」。昔から佐方では、村の青年団などで獅子舞を習っていましたが、戦争で慣習が断絶してしまいました。復活のきっかけは、佐方八幡神社の現総代長・橋本博さんが、1999年、神社を掃除する際に獅子頭を発見したこと。復活させたい!という思いで練習を重ね、60年ぶりに復活しました。
また将来の舞手育成のため、定期的に獅子舞クラブも開催しています。舞手の橋本和博さんは「佐方で育つ子が、故郷では獅子舞があったなあ、と思えるように残したい」と話しました。


出店
豊年祭では、様々なところで露店やキッチンカー、飲食店が出ています。獅子舞やダンスなどのイベントがあるメイン会場「廿日市市中央市民センター」以外にも広電廿日市駅の近くや、その周りにある二つの商店街も賑わっています。



いわゆるテキヤの露店だけでなく、地元店舗も店頭販売をしているので、いろいろなところを回る楽しみがあります。


形を変えながらも思いが受け継がれ、300年以上続いている二百廿日豊年市民祭。来年も9月の第2土曜日に開催される予定ですので、ぜひ行ってみてください。周辺のエリアでは交通規制がひかれるので、遊びに行く場合は、広電やJRがおすすめです。
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