シンガーソングライター・HIPPYさんが開く、「原爆の語り部 被爆体験者の証言の会」
原爆投下から七十六年。
おりづるタワー(広島市中区大手町)から見下ろす広島市街地は、ビルやマンションが立ち並び、整備された道路や橋をたくさんの人や車が行き交う。風で揺れる元安川の水面、青々として美しい平和記念公園の木々。目の前に広がる日常の景色は、あの8月6日の記憶を薄れさせる。
先輩が亡くなる直前に託した証言の会の運営
広島市出身のシンガーソングライター・HIPPYさん(40)が、毎月6日(※)、「原爆の語り部 被爆体験者の証言の会」を催している。被爆者が実体験を語る場で、HIPPYさんが司会を勤める。元々飲食店で開いていた会だが、コロナ禍になった2020(令和2)年3月からYouTubeで生配信している。
(※8月は6日ではなく別日になる)
同会は2006(平成18)年、冨恵洋次郎(享年37歳)さんが自身の経営するバーで開いたことが始まりだ。HIPPYさんは、2012年ごろ初めて参加。「原爆の話は怖くて。確かに起こった出来事だけど、漫画や映画の中の話だと自分の心に収めていた。証言の会で初めて被爆者の話を聞いたとき、亡くなった14万人の一人ひとりに人生があったんだと感じ、被爆体験を自分ごととして捉えるようになった」。2017年(同29)年7月、がんに侵された冨恵さんが、亡くなる四日前、HIPPYさんに同会の運営を託した。
「夕焼けがトラウマ」。印象に残った被爆者の言葉
尊敬する先輩が大切にしてきた会を引き継いだHIPPYさん。同会は2021年7月6日で通算189回になった。印象に残っているのは、ある証言者の「夕焼けがトラウマ」という言葉だ。町が燃え赤く染まったあの日の広島の空が、夕焼けと重なるという。「夕焼けってしょっちゅうあるのに、そのたび被爆者は「自分だけ逃げた」と自責の念に苦しんでいる。町は復興しても心は全然復興していないんだなって」。HIPPYさんは隣で話を聞きながら、戦争を二度と繰り返してはいけないと痛感する。
惨状と同時に、復興の様子も伝えられたら
被爆体験を話す人は、1割ぐらいという。9割の被爆者は話さない。「七十年以上も前の、家族や友達がいなくなったときの話をするのは、僕だったらできない。登壇する人は、二度と原爆が起こってほしくないという強い気持ちで話してくださっている」。それほど貴重な証言を扱っている意識があるため、HIPPYさんは開催時にいつも気を張る。
被爆者の高齢化で、証言はそう遠くない未来、聞くことができなくなる。HIPPYさんは同会の運営を手伝ってくれる仲間と、続けられるうちは続けていくと考えている。「原爆の惨状と同時に、広島の町がそこからどうやって復興したのかも知ってほしい」。
原爆を体験しながらも立ち上がってくれた人たちがいたからこそ、今の広島の町がある。戦争の悲惨さ、復興した人々の力強さを後世に伝承する。
取材協力/おりづるタワー(HIROSHIMA ORIZURU TOWER)
【YouTube】
「第189回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜」特別編(2021年7月6日開催) はこちらから
【イベント告知】
2日連続オンラインイベント
ANJU × HIPPY[記憶の解凍][語り部の会]コラボ企画
8/1(日)19:00〜
福屋屋上からYouTube生配信
※雨天中止(中止になった場合、この日の内容を2日に盛り込みます)
8/2(月)19:00〜
おりづるタワー12階「おりづる広場」からYouTube生配信
※おりづるタワー入場者の観覧可能
[HIPPY] YouTubeチャンネル[ひぴ動]
https://www.youtube.com/channel/UC3i3znps2Q62tM9tKKHh8Sg
※新型コロナウイルス感染状況により、変更・中止する場合があります。イベント開催状況はツイッター(https://twitter.com/__hippy__)で配信します。