地域の歴史を後世に残そうと、廿日市市の串戸歴史文化研究会などが、廣田神社と御手洗川の歴史を刻んだ石碑を設置しました。場所は廿日市市地御前2丁目の御手洗橋付近で、かつて廣田神社があった御衣尾山(みそのおやま)の麓。同研究会、串戸地区自治協議会、廣田神社氏子中が1月28日に記念式典を実施し、地域住民にお披露目しました。
石碑によると、廣田神社は江戸時代、御手洗川が御衣尾山の裾野を流れるように付け替える工事の際、別の場所に遷座されたそう。その後、人々が元の場所を「元廣田」と呼び、祭礼時に神輿が休憩するところとされた「御旅所(おたびしょ)」を設けて信仰してきました。廣田神社は1762年、現在地の串戸3丁目に鎮座されました。
1973(昭和48)年、御手洗川の拡張工事に伴い、御旅所は取壊祓祭(とりこわしはらいさい)ののち解体。翌年9月に設置された「広田神社御旅所跡」の石碑が今も残っており、このたび歴史を刻んだ新たな石碑が隣りに並びました。
新しい石碑は、縦48cm、横78cm、台座を含めた高さが70cm。御手洗橋の西側にあるごみ集積場の脇道を進むとありますが、道幅が狭いので通る際は注意が必要です。脇道の入り口には、「御衣尾山・廣田神社御旅所跡」と明記した石柱が建っています。石碑、石柱ともに、廿日市市文化資源保存活用事業補助金を使用。
串戸歴史文化研究会は串戸地区の歴史を掘り下げて調べ、町内の住民や小学校の子どもたちなどに伝えています。高見重喜会長は「例えば、「元廣田」のようになくなってしまった字名などある。地域の歴史は伝えていかないと忘れられてしまうが、伝える人が少なくなっている。石碑だったら長い間残っていく」と話します。今後も、歴史を伝えていく活動を続けていくそうです。
石碑名 | 石碑「廣田神社と御手洗川の歴史」 石柱「御衣尾山・廣田神社御旅所跡」 |
場所 | 廿日市市の御手洗橋付近の広田神社御旅所跡(Googleマップ) |
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