ライター/光井 祐子
広島県最西端、大竹市の大竹港で海釣りが楽しめる「東栄地区港湾緑地」という公園を知っていますか?
大竹市には工場が密集している工業地帯があり、その中に海釣りが好きな人であれば知っているであろう穴場スポットの公園です!太平洋戦争の歴史の一部を知ることができるモニュメントも備わっているのでご紹介します。
まず、公園の最大の魅力は、広々とした芝生広場です。海釣りを目的に訪れる人が多いからか、芝生広場で遊ぶ人はまばらで、広さを活用して身体をしっかり動かすことができます。芝生広場と海が隣り合わせですが、小学生未満の子どもが自力で登ることはできない高さの防波堤で囲われているので、幼児を遊ばせても安心です。
公園から東側に目を向けると、厳島が見えます。とても静かな場所なので、海や行き交う船を眺めたり、緑地や工場の煙突を眺めたりと、のどかな時間が過ぎていきます。
駐車場も広く、トイレも整備されているのがうれしいポイント。
やはり目立つのは赤と白の巨大な煙突です。夜には、煙突やプラントの照明の美しさに圧倒される工場夜景を楽しむことができそうな場所です!
歴史好きな人はぜひ、公園にある石碑にも注目してみてください。この場所には戦時中、海軍潜水学校があり、西には海兵団といって、軍港に配置された海軍の陸上部隊が港の警備や教育訓練をしていた場所があったようです。当時、最盛期には1万人以上の兵士が訓練に従事し、呉市と同様に「海軍の町」と全国に名をはせていたそうです。
この地に1942年、建築された海軍潜水学校の探知講堂(正式名称:電測水測講堂)の壁面を活用したモニュメントが置かれています。戦時中、海軍潜水学校では潜水艦の乗組員を養成しており、施設では艦船のスクリュー音を聞き分ける訓練が行われていたとの記載がありました。
元々、呉軍港に海軍潜水学校が立てられ、1941年の真珠湾攻撃の翌年に大竹に移転。終戦後1ヶ月経過した1945年9月に閉校になった歴史があるそうです。
写真右側の石碑に描かれた建物が、海軍潜水学校の探知講堂の外観。写真左側の石碑は、終戦後、大竹港が海外に残された在留邦人を引き揚げる上陸港に指定され、約1年間引き揚げ業務が行われた光景が描かれています。
モニュメントと石碑は、きれいに緑化された公園やコンビナートを見るだけでは知り得なかった戦時中の歴史の一部を教えてくれ、感慨深い気持ちになりました。
歴史に触れたり海を眺めたりしてのんびり過ごせる穴場スポット・東栄地区港湾緑地へお出かけして、たまにはゆっくりと流れる時間を体感してみるのもおすすめです。
東栄地区港湾緑地 |
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場所 |
大竹市東栄3丁目30(Googleマップ) |
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トイレ |
あり |
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駐車場 |
あり |
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