苦労したぶんだけ学びになる
年末から年始にかけて、昔の遊びを楽しむ機会があります。冬休みだからこそ味わえる遊びを大いに楽しんでほしいと思います。
その中でも百人一首は長い歴史があって様々な楽しみ方ができる奥の深い遊びです。やっているうちに意味の分からないままリズムやことばの響きがおもしろくてだんだんと覚えていきます。
また、ことばの意味を尋ねてきたり作者に興味を持ったりするようになります。短歌の題材に目を向ける場合もあります。興味を持ったことを教えてやるとさらに興味を持ち、もっと知りたくなります。
例えば、植物のハギ(萩)を題材にしたものが出てくるので、当時の人たちはハギの花を見て楽しんでいたことが想像できます。同じ日本人でも時代が違えば心を寄せるものが違うことに気づきます。
あるいは、人との別れを詠む歌も多く、人との別れは今も昔も変わらない、つらくて寂しい思いしていたと共感します。
短歌を覚えるとなるとかなりの努力を要しますが、小学生はすべて覚える必要はありません。覚えたものが読まれる楽しみがあり、遊ぶうちに一首一首覚えていきます。
「覚えなさい」と言われると、なかなか覚えられるものではありませんが、いくつか覚えてしまうとハードルが低くなり、努力してでも自ら覚えようとします。自ら行動するところまでくれば子どもの学ぶ力になっていきます。
また、努力をして遊ぶという体験は、便利な社会には大事なことです。与えられたものをそのまま使って遊ぶことに慣れた子どもはそういう人間になります。努力や苦労をして遊ぶことは子どもの学びにつながり、学ぶための訓練を小学生のうちにしていることになります。つまり、遊びで学ぶとは、学び方を学ぶということです。
1年生の教室では、幼稚園児に昔の遊びを楽しんでもらうために、動画を撮っていました。すごろくと福笑いとトントン相撲の遊び方を説明していました。自分で遊んでみて、おもしろさを味わっているので、人にも伝えたくなります。
クラスの仲間と一緒にどういうことばで伝えたらいいか考えたようです。昔遊びのおもしろさに気づくだけでは学習として物足りませんが、そのおもしろさをどう伝えるか知恵を出すと学びになります。仲間とひとつになって目的のためにやれば学びになります。
また、普段の授業でのていねいに話す、順序よく話す学習がここで生かされていました。学んだことが使えると本物の力になります。2年生の教室では、5年生から教えてもらったけん玉とコマとお手玉の練習をしていました。少し練習したのでは上達しないのでこれも学習になります。
1年生は作った動画を幼稚園に持っていきます。昔の遊びのおもしろさを伝えたい、おもしろいからやってほしい。この思いが実現するときです。
2年生は技の発表会をします。やってもやってもできなくて、できないことを繰り返した者は、体と頭を使っています。どちらも苦労をしたぶんだけ学びになります。
みんなでひとつになれたこともうれしいことです。こうした積み重ねで、学ぶことの楽しさを知ることになります。